今年はノーベル物理学賞に日本人科学者が3名も受賞した!以前やはり物理学で受賞したある大学教授が授賞式で"I'm sorry I can't speak English."と言ったので世界中の人がびっくりしたとか。 えっ?英語が喋れない人がノーベル賞を受賞???
ほぼあらゆるジャンルの学問が母国語で世界最高(?)水準まで教育出来るのは日本だけらしい。(もちろん外国語は別)
以前テレビか何かで放送されていたが フィリピンの現在の母国語はスペイン語だとか。
えっ? スペインに占領される前の現地語はどこへいったの? 政治や歴史にうとい筆者はおどろくことばかり。 ま、近現代史をまともに教われなかった世代ですから・・・・。
そのスペイン語も、もはや英語の波に呑み込まれて 幼児期からすべて英語で教育。
つまりスペイン語にない概念が英語には多く存在するので、英語で済ませたほうが楽ということらしい。
そのフィリピンのGDPは国家全体で日本の埼玉県くらいらしい。人口や国土に比べてどうなのかな。
またノーベル賞受賞者はアジアで日本ぐらい? ほかのアジアの大国はどうしたのかな。
地勢的に日本は恵まれていたかもしれない。 いろんな文化が流れ着いて時間をかけて醸成されるための安全が海岸線によって担保されていたから? ど素人ながら考える。
いまでは航空機やインターネットの発達によって、旧式の安全保障の網の目はズタズタ。 それでも日本人の独創性はなくなっていないみたいだ。 その原動力はどこにあるんだろう。
それは多分、「英語ベタ」を自認する日本人の強烈な岩盤である「日本語」に由来するのではないだろうか。 英語で”I”に対して我が日本語は わたし、わたくし、ぼく、わし、など様々な語彙が登場する。 どうもこの語彙の種類の多さが関係しているのかも。
つまり森羅万象に対する観察眼が鋭くて表現力豊かな言語となったのではないか。
以前、Native English Speakerとして教えていたMs・Skillenが言っていた。英語とドイツ語の関係は1対1だけど、英単語ひとつに対して日本語はいくつもあるから大変だと。
今日も台風がやってきている。 外国からの脅威よりも自然界からの脅威につねにさらされて来た習性からやおよろずの神(自然=神)発想となり一神教の世界とは一線を画する不思議な国となったのかも。
この様々な神を許容する精神も、やはり語彙の多さと無関係ではないような気もする。 単なる直感だけど。
母国語を捨て去るか、翻訳によって英語洪水に防波堤を築くか。 さてこの先1千年を考えどちらが正しい選択なのか。二択問題ではないけれど。
That is the question!